3/01/2013

1929.地理的日本歴史

地理的日本歴史
横井春野 著 モナス出版

第七十章 日本海海戦と竹島 (P531)
日本海海戦によりて其名を世界に知らるるに至ったリヤンコールト岩即ち竹島は日本海の中心にある一岩嶼で山陰地方から隠岐列島および鬱陵島を経て朝鮮江原咸鏡地方に往復する航路に当たっている。北緯三十七度五分三十秒東経百三十一度五十五分0秒に位し、隠岐の西北八十五海里、鬱陵島の東南五十五海里である。二つの岩嶼と数十の小礁よりなり、無人の地であった。甲嶼は周囲一五六町海抜三百八十一尺断崖絶壁で上陸できない。 二三町隔てて乙嶼がある。乙嶼は周邊十余町、海抜二百十六尺で半腹以上は、岩身骨立して登ることは出来ないが、海岸にわすかばかりの砂礫地があり、ここに日露役当時竹島漁獲会社の小屋があった。島内飲料水なく、作物を生ぜず昔より無人島であつた。毎年梅雨期前から海驢が分娩交尾の為に群集してきて一大壮観を呈するのである

 本邦の奮記は、竹島を鬱陵島と混同している。鬱陵島の一名が竹島であると説いてをるが、それは誤りである。日本海海戦以来一躍其名を世界に知らるるに至った竹島は鬱陵島ではなく、古記には松島と記され、隠岐の島人からリヤンコ島と云はれたものである。この島がわが領土に編入されたのは明治三十八年二月で、この時明確に竹島と命名せられた。島根県の所属となる

島根県告示第40号

以下省略


(*註 他、水路誌、日本海海戦、鬱陵島の話、竹島と中井養三郎の話あり)


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