10/19/2011

Korean dont know the correct Takeshima position in the Sea of Japan.

Coffee break: Kim Taehee's Dokdo propaganda campaign T-shirts.
The Gif animation image is Kim Tae-hee's the Propaganda T-shirts in Swiss , although Swiss side refused their propaganda campaign for "Dokdo" .

I made a GIF animation images to analysis the position of Argonaut(not exist), Ulleungdo (Dagelet), and Shimane-Takeshima (Liancourt Rocks)
click here to my gif animation:
http://www16.tok2.com/home/otakeshimaoxdokdox/ANM/KimtaeheedokdopropagandaTshirt.gif





This T-shirts shows that Korean doesn't know the correct positon of Takeshima-Liancourt Rocks.

This T-shirt, so-called "Dokdo Tshirt"  ,base design by Ssamzie.
  ( see here. http://www.kukinews.com/gallery/pictorial_view.asp?pNo=168
http://yaplog.jp/supernatural/archive/264)














 I told to my Korean freinds about the position of Ulluengdo, Jukdo(Boussoule Rocks) and Takeshima(Liancourt Rocks) , she also didn't tell correct postition and distance from Ulleungdo to Liancourt Rocks and she surprised how far Shimane-Takeshima to Ulluengdo.

Also, I recieved the replies from Swiss embassy about the issue of Kim Taehee's propaganda campaign in Switzerland. Switzerland doesn't denies Kim Taehee's plan to promote the propaganda campaign. but Swiss side made their propaganda stopped.
http://imageshack.us/photo/my-images/835/swisskimtaehee.jpg/


*By the way some website quote my gif animation without description my site adress (tok16.com/otakeshimaoxdokdox), are not welcome. It is okay if there describes my url when you quote this gif animation.

9/20/2011

1811.Précis de la géographie universelle

Précis de la géographie universelle, ou, Description de toutes les parties du monde sur un plan nouveau, d'après les grandes divisions naturelles du globe : précédée de l'histoire de la géographie chez les peuples anciens et modernes, et d'une théorie générale de la géographie mathématique, physique et politique (1811)
Author: Conrad Malte-Brun
Publisher: Paris : F. Buisson, 1812-1829. Edition/
Format: Book : French : 2e éd, corr

http://books.google.co.jp/books?id=K9FCAAAAYAAJ&pg=PP7&lpg=PP7&dq=Pre%CC%81cis+de+la+ge%CC%81ographie+universelle+:+ou+Description+de+toutes+les+parties+du+monde,+sur+un+plan+nouveau,+d%27apre%CC%80s+les+grandes+divisions+naturelles+du+globe&source=bl&ots=T5OQ76Zx6X&sig=xlnc-xYXfRslpltSaCzPCXAVRmQ&hl=ja&ei=YrFdTvHfGIOLmQWRw_wh&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=3&ved=0CCcQ6AEwAg#v=onepage&q=japon&f=false

Chapter: ASIE Mantchourie, Coree, etc P447
Entre les iles du Japon et la Mantchourie S'etend la grande peninsule de Coree, baiguee a I'est par la mer du Japon, et a I'occident par la mer Jaune, autrement nom0nee golfe de Pekin. Ce pays peut avoir 2320 lieues de long, mais un tiers de cette longueur se trouve hors de la peninsule proprement dite; la largeur est au nord et au sude de go a 100 lieues, mais a I'endroit ou la peninsule prend son veritable commencement, cette largeur n'est que de 48 a 50 lieues, mais a Pendroit ou la peninsule prend son veritable commencement, cette largeur n'est que de 48 a 50 lieus, La Coree ne le cede gueres en etendue a I'Italie.
Le Seul trait bien connu de la geographie-physique de la Coree, c'est L'existence d'une haute chaine de montagnes dirigee du nord aud sud, et qui parait avoir ume communication avac celles de la Mantchourie. En penertrant dans la peninsulate, cette chaine longe de fort pres la mer du Japon;

http://books.google.co.jp/books?id=K9FCAAAAYAAJ&pg=PP7&lpg=PP7&dq=Pre%CC%81cis+de+la+ge%CC%81ographie+universelle+:+ou+Description+de+toutes+les+parties+du+monde,+sur+un+plan+nouveau,+d%27apre%CC%80s+les+grandes+divisions+naturelles+du+globe&source=bl&ots=T5OQ76Zx6X&sig=xlnc-xYXfRslpltSaCzPCXAVRmQ&hl=ja&ei=YrFdTvHfGIOLmQWRw_wh&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=3&ved=0CCcQ6AEwAg#v=onepage&q=japon&f=false


9/18/2011

Mar Pacifico (Sea of Peace), by Ferdinand Magellan

It was said the ex-president of ROK, fascist-ethnocentrist Roh-Muhyoon had proposed to Abe Sinzo , PM of Japan, the name pf "Sea of Peace" instead of "Sea of Japan" as a anti-japanese propaganda ,a.k.a Discount-japan.

Jong-ga ilbl, 8th of Jan 2007
http://japanese.joins.com/article/454/83454.html?sectcode=200&servcode=200
盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が昨年11月の韓日首脳会談で、日本に対し、東海(トン へ、日本名・日本海)の名称を「平和の海」に改名することを提案していたことで波紋が広がっているなか、安倍首相は当時、盧大統領の提案をその場で断った ことが分かった。京郷新聞(キョンヒャンシンムン)が日本の時事通信が報じた内容として伝えた。
時事通信は8日、日本政府関係者が明らかにしたものとして盧大統領のこうした発言を伝えた後「安倍首相は盧大統領のそうした提案を即 座に拒否した」と報じた。同通信はまた、韓国側が韓日首脳会談で「平和の海」を提案したのは今回が初めてで、日本側は盧大統領の真意を測りかねており、今 後の韓日関係に微妙な影響を与えそうだと付け加えた。
一方、青瓦台(チョンワデ、大統領府)はこの日「公式の提案ではなく懸案を解決するためのアイデアのレベルだった」とし「政府が東海の名称をあきらめたことは決してない」と釈明した



It is bad joke renaming to "Sea of Peace " instead of Sea of Japan There are many Korean criminal/illegal fishery boat and Korean invaded Takeshima(Liancourt Rocks) and they do anti-japan brainwash govermental propaganda progame so far . " Peace" is bad joke !

In addition,we already have "Sea of Peace". Yes, It is "Pacific Ocean" today. Ferdinand Magellan ,during the Spanish expedition of world circumnavigation in 1521, who encountered favourable winds as he reached the ocean and called it Mar Pacifico in Portuguese, meaning "peaceful sea".

9/11/2011

赤塚の欝陵島地図ににおける”空島”が架空の于山島?

日本海に浮かぶ欝陵島Dageletの話をたまに書いているわけですが、それはもともと、欧米の水路誌や地図でTakeshima Argonaut, matsusima Dagelet とLiancourt Rocksの記述を探しているついでに日本海呼称問題とかぶる部分があったためこのブログをはじめたわけですが、まあ、私もこの島に渡航したことがあるのでたまにDagalet欝陵島の事について書いているわけです。

半月城という朝鮮のネットウヨクは1990年代から主にインターネット上でエスのセントリズム的な主張を行っては、Torazo氏やYabutarou氏、Oppekepe氏などにその嘘を指摘され論破されてはまた別の歪曲論拠を用いたり、証明ロンダリングをおこなって印象操作をしているネトウヨですが、最近は啓明大学で”論文”なるものを書いているようだが、またこの内容が酷い。

---以下、引用---
欝陵島に住む韓国人と日本人は共同で十数年前に于山島を探索したが失敗して于山島を見失っていた。上の記事が書かれたのは1913年なので、それから十数年前というと1900年前後になる。すなわち禹用鼎が釜山領事官補 赤塚正助と欝陵島の合同調査をおこなった年の前後に于山島の探索がおこなわれたことになる。 ちなみに合同調査後に赤塚が外務省宛の報告書「欝陵島調査概況」(1900)に添付した欝陵島地図は図2のとおりである。図2にて欝陵島の東北に「空島」が、島牧(観音島)や竹島(竹嶼)よりも大きく描かれた。おそらく、付属地図は「空島」を伝説の于山島に想定したものの、于山島の存在が確実でないので、于山島の名を避けて無人島の意味で「空島」と名付けたと思われる。もし、この「空島」が于山島であると判明したなら、「空島」はもちろん勅令41号に于山島の名で記述されたであろう。于山島は官撰書に記載された歴史的な名称なので、当然于山島を勅令に記載したはずである。しかし、住民は伝説の「東北」方向に于山島を探し出せず、探索は失敗に終わった。そのため、存在が曖昧な于山島を勅令に掲載するのを見送ったものと思われる。


この人は、地図すらろくに読めないのか、それとも意図的に歪曲をこじつけようとしているのかわからないが、この地図に書かれた空島(Gong-do)をみると、それは「図2にて欝陵島の東北に「空島」」 ではなく、『北』に書かれていることがわかる。 『北東』ではない。 そして、半月城氏は、「「付属地図は「空島」を伝説の于山島に想定」」と述べているが、とんでもない歪曲です。この空島(Gond-do)は、今日の孔岩(Gong-am:一名象岩)です。ここに書かれている空島(Gong-do)は、光岩や錐山の北、天府洞の北西に書かれているわけです
この1900年の赤塚報告の欝陵島添付図と、1918年の総督府作成の欝陵島図を比べてみてもその相対的な位置関係を比較すれば一目瞭然です。


まあ、百歩譲って欝陵島の地図の中心地点を西寄りに設定した場合、北北東にあると主張することはできるかもしれませんが、これ地図単純に見て、「北」に書かれている、とみなすのが妥当です。 この空島、大きさは実際より大きく書かれているわけですが、それは該当の岩が非常に目立ち、目印となるためでしょう。とにかくこの孔岩は目立つのです。この空島は欝陵島北部に書かれた地区名、光岩、錘山の北側の海中にあり、また天府堂の北西に書かれていることから、との相対関係から孔岩(Gong-am) つまり今日の象岩と判断できます。 決して、「付属地図は「空島」を伝説の于山島に想定」して書いたような妄想ではありません。


赤塚の欝陵島地図

欝陵島地図

この地図の、1番がずばりその孔岩(象岩)です。玄圃や天府の北の沖合いにある、非常に目立つ欝陵島の観光スポットです。 (ちなみに、4が島項観音島で、5が竹嶼Boussoule Rockです。)
この孔岩は、・1694年以降の朝鮮王朝の鬱陵島捜討官の製作した鬱陵島詳細図にも記載されています。


おそらく、この半月城という人物は、1900年の赤塚の調査と、1913年の新聞記事、「于山島探検中止 」の件を無理やり結びつけるために「空島」の位置の説明を歪曲したと考えられます。

こういう、馬鹿な話は、実際に欝陵島に行って現地を見てきた人間には通用しないです。


当初、『住民は伝説の「東北」方向に于山島を探し出せず、探索は失敗に終わった』事は、以下の文献で、Gerrybeversがそもそも紹介しているものなのですが、
于山島探検中止 (Gerrybevers)
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/04/location-of-usando-unknown-in-early.html

これによると、
慶南鬱島郡 西面 金元俊은 鬱島로부터 東北方 約四、五十里를
のわけです。つまり、欝陵島北東部400-2.2km先にある竹嶼や観音島よりもさらに遠方の北東にあると彼らは推測していたわけで、決して、欝陵島のほぼ真北の近場にか書かれた島を探そうと思ったわけではないのです。
、赤塚が「付属地図は「空島」を伝説の于山島に想定」したのであるならば、島項(石圃の対岸:観音島)や竹島(竹嶼)のさらに北東の海上に「空島」を書くでしょうに(笑) でないと、「地図」としての意味がないですよ(笑)この孔岩は、名称の誤差はあれども、1880年、つまり欝陵島再開拓が始まった後の調査地図にはおおよそ掲載があります。。つまり、欝陵島の地理上、孔岩は「顕著」なものなのです。
http://seaofjapan-noeastsea.blogspot.com/2010/11/1900-1905.html





該当の論文?PDF P2とやらにも、
石島が観音島でないとすれば、欝陵島付近には他に石島の候補になりうる島はないので石島は竹島=独島しかあり得ない

って書いてるようですが、このように、空島(孔岩)も候補に挙がるわけですし、また、発音を根拠に「観音島が石島である」という根拠が薄れただけで、まだ、観音島が石島であると推測する材料は残っているわけです。 ”獨島が石島”であることを推測し始めた最初の頃も崔南善は「鬱陵本島のごく近くにも別のドクソムがある」と述べているとおり、別の「ドクソム」なるものが欝陵島の近くにあることを示唆しています。
参照:藪太郎の研究室 http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/a.html?sid=98989d8ec8111d9ae5b99f846fc98241


実は、この欝陵島調査員赤坂の地図は、結構前に皆で吟味したわけですが、
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/04/1900-japanese-map-of-ulleungdo.html
http://seaofjapan-noeastsea.blogspot.com/2010/11/1900-1905.html

赤坂は、現地に行っていること、そして報告書を書いていることを考えると、この地図は実際に現地を調査して地名などを聞き取り調査して作成したと考えられるのが妥当で、
赤塚が決して妄想で、『付属地図は「空島」を伝説の于山島に想定した』 のではなく、ただ単に、目印としては非常にわかりやすい今日の象岩である孔岩Gong-amを島として書いた程度だと考えられます。この孔岩、確かに小さな岩なのですが、かなり目立つ岩で欝陵島の観光スポットの中でも有名なうちのひとつですし、その存在は大きいんです。


今は削除されていますが、過去に独島学会は、1881年の李奎遠の欝陵島外図に描かれた虹●岩、つまり今日の孔岩/象岩を、「独島」であると、とんでもない歪曲を主張していたんですね。

(地図に関しては、下記の4・ソウル大学 鬱陵島外図を参照のこと
http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/1.html

実際、この地図の形を見ればそれはやはり「孔岩」つまり象岩以外の何者でもないのです。しかし、当時韓国側はHPでこれを「独島」であると主張しいました。 日本の一般人が欝量島の詳細など知らんと高をくくっているのでしょうね? 今回の赤塚の地図に書かれた空島をウサン島にあてがおうとする魂胆とすごくそのときの状況に似ているわけです。手法が。
現地の地理を知らない人間は簡単に信じるのかもしれませんが。

まず、赤塚の地図と、このウサン島移住調査が関連していることを示す形跡は史料上見られない。
1899-1900年のフランス人のLa Porte、日本人の赤塚、そして大韓帝国の役人、禹用鼎の合同調査ですが、「ウサン島への移住のための民間の調査」と関連している様子は史料からはみられません。
La Porteの報告ー皇城新聞 1899.09.23の記事
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/05/1899923.html
赤塚の報告-(+渡邊鷹治郞)
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/04/1900-japanese-map-of-ulleungdo.html
禹用鼎の調査記録ー「欝島記」
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/12/1900-uldo-gi.html

日本人と韓国人が移住のために調査を行ったのかもしれませんが、それが上記三方による合同調査と関連がある節は見られませんし、また、赤塚の地図に記載された空島が「ウサン島」として記載したという根拠はないわけです。

そもそも、日本人も、韓人も、もともとは皆、りゃんこ島と呼んでいたわけです。  日本人は1880年頃から、すでに日本人は欝陵島の南東50日本里に、「りゃんこ島」があることは知っておりますし、朝鮮人は1903年頃から日本人に 雇われて「りゃんこ島」に渡航しているわけですから、仮に現地人や日本人がりゃんこ島を「ウサン島」とみなしていた場合、移住のための捜索をするはずがあ りません(笑) 1902年の欝陵島の報告書にも、「「りゃんこ島」は南東25海里にあると記載があります。皆、りゃんこ島と呼んでいたわけです。その、欝陵島の南東はるか90KM先にあるりゃんこ島を現地人なり日本人なりが「于山島」と認識していたとすればそれをそう記載していたわけですし、 1900年の赤塚の地図には「北東部」、 「北部」ではなくて、「南東部」に「りゃんこ島」と書いたでしょう。(笑)そして、なにも日本と朝鮮人との「合同ウサン島調査」は北東50里に調査に行く はずがないんです(笑)。 半月の仮説を元にすると、以下のような地図を書いていたのではないか、と思いますが、もちろん実際は前述のとおり、 空島は孔岩を書いたわけです。




 つまり、この1913年の「于山島探検中止」の新聞記事は、于山島は島根の竹島「独島」ではない、といっているようなものなの です。

 そこで、韓国側は、おそらくは、「赤塚の地図を根拠にすると、竹嶼が于山島でない」と反論があるかもしれません。
 赤塚の地図に于山島が記載されない理由は、この時代はすでに、「于山」は再び鬱陵島の古い旧名に戻っていたからです。 欝陵島詳細古地図に記載された于山島は「竹島(嶼)」とかかれるようになったのです。

8/30/2011

Matsimaは松島か、松前か?

1760.東海呼称問題:18世紀の英辞典も「Sea of Corea」 の報道について、
の添付画像に書かれたMatsimaについて。

一部ブログなどは、きちんと検証もせずに、この記事の『Universal Gazetterに添付されている地図に書いてあるMatsimaを、江戸時代の日本の竹島の呼称である、”松島”である』との書き込みを見たことがありますが、これは正しくないです。結論からすると、これは松前と考えられます。

まず、例の報道1760年のUniversal Gazetterの写真を見てみます。
この写真の、北海道のような大きな島と、そしてその南、すなわち北海道と思われる島と本州の間にいくつか小さな島がある事に注目してください。
次に、1745年のBowenのアジア図を見てみます(David Ramsey)
この地図にはYedzoつまり北海道と思われる島と、本州の間に
島がいくつか記載されています。ここにMatsimaIと記載があります。
これが、1760年の地名辞典の添付図に記載されたMatsimaとほぼ一致します。
このことから考えると、作者は、松島ではなく、松前を意図して書いたものではないか、と推測します。
島根の竹島の江戸時代の名称"松島”を記載するとなると、隠岐の北西とか、そのあたりに記載すると考えられますし、また、鬱陵島、つまり江戸時代名”竹島”を記載せずに、”松島”だけ記載しているというのも妙な話です。


地図:1745.A new & accurate map of Asia. Drawn from actual surveys, and otherwise collected from journals; assisted by the most approved modern maps & charts. The whole being regulated by astronl. observations. By Eman. Bowen. (London: Printed for William Innys, Richard Ware, Aaron Ward, J. and P. Knapton, John Clarke, T. Longman and T. Shewell, Thomas Osborne, Henry Whitridge ... M.DCC.XLVII)
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~2580~270032:A-new-&-accurate-map-of-Asia--Drawn

この地図から判断すると、本州の北端と北海道の間にある二つの島の一つにMatsimaIと記載があります。これは、所謂江戸時代の松島(現在の島根の竹島)ではなく松前でしょう。
ひょっとすると、外国人は、長崎の出島のような、島だと思ったのでしょうか?北方探検史は詳しくないので詳しい方ご存知でしたら教えてください。

そして、決定的なのは、 A system of universal geography, or A description of all the parts of the world, on a new plan, according to the great natural divisions of the globe 1834 の記述です。
http://books.google.co.jp/books?id=iKUgAQAAMAAJ&pg=PA385&lpg=PA385&dq=MatsimaI&source=bl&ots=6DsqeZlgwY&sig=JXZdyTxNT0cqp28K-frDbMWkWIY&hl=ja&ei=UaldTteZMsSImQWUrY0B&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=3&ved=0CCwQ6AEwAg#v=onepage&q=MatsimaI&f=false
ここに、Matsumae/MatsimaIが出てきます。
Matsumai*1, or the Town of the Strait")Matsi being the word for a strait、is built near the south end of tehe island. It is a Japanese fortress, and inaccessible by land. Other military post extend along the western coast all the way to the northern point. It consting the western shore, we meet with the islanns of Osima, Kosima, Okosiri, Rissiri, (which contains the Pic Je Langle of La Perouse) and Refoonsiri. Trhe large grlph which extends inthe the country, is called by the Russia the Gulph of Strogonof. The last station to the north is Notsjiab, the Notzamboo of Krusenstern . 以下省略
脚注
*MatsimaI

このMatsumaiについてはUniversal geography, or A description of all parts of the world, on a new plan, according to the great natural divisions of the globe.1827にも出てきます。

まあ、この地図にはSea of Koreaが記載されてはいます。そして、例のMatsimaIが記載されています。
先の報道ですと、画像はMatsimaとなっておりますが、位置、スペルから該当するとIが脱落または誤字によるものか、どちらかだと思います。

まあ、この時代の西洋の地図に竹島(鬱陵島)松島(島根竹島)が掲載されているとは思えません。西洋の地図で鬱陵島がきちんと記載されるのが、James Conett aboard Argonautの発見”Argonaut island"とLa Perouseの日本海探検のときのDagelet、これが1780年代です。この二つの記録が、西洋では欝陵島の”発見”の最初とされており、それ以前に欝陵島の報告はありませんし、これいこう、シーボルトに関しても、竹島をアルゴノート島、松島をDagelet島として、まあ実際には欝陵島の話しなのですが、日本のいわゆる江戸時代の松島は西洋に全く知られていません。
また、西洋においては、現在の島根の竹島はLiancourt rocksもしくはHornetRocksと呼ばれていましたが、この”発見”はフランス捕鯨船Liancourt号が1849年に”発見”したもので、それ以前から存在を知られていたとは考えられません。

ArgonautとDagelet以前は、D'anville系統の地図が特徴的ですが、朝鮮半島付近にはTchansantaoとFanglintaoの二つが、おもに朝鮮で製作された地図を載せた中国図に記載されますが、これらにはTakoshima/TakeshimaとMatsusimaの名称はありません

この成果をまとめた海図がKrusenstern以降、1850年代の英国海図以前の地図ですが、この時期の地図には旧来の中国図からTchansantaoとFanlintaoを朝鮮半島沿岸Sampu(さむちょく)付近に書き、一方ArgonautとDageletを日本海の洋上にも書いています。

そしてこのArgonautとDageletにTakoshima/TakeshimaとMatsusimaを宛がうのがシーボルトで、それによりこの二つの島(実際はアルゴノート島は存在しない)が西洋の地図に記載されることになります。


このような経緯で、竹島アルゴノート島と松島ダーシュレ島が西洋の地図に載るようになった経緯を時期を考えると、それ以前の時代に記載されたMatsimaが江戸時代の松島つまり島根竹島である可能性はまず考えられません。これは上述の欧米資料から考えると、松前であると考えられます。

8/29/2011

1896.Problems of the Far East, Japan--Korea--China

Problems of the Far East, Japan--Korea--China (1896)
Author: Curzon, George Nathaniel Curzon, Marquis of, 1859-1925
Publisher: Westminster : A. Constable and Co.
http://www.archive.org/details/problemsoffareas00curz

attached map of Korea: nothing name of marginal sea between japan and korea.
But Broughton Bay or Koraen gulf was written in east korean gulf today
http://www.archive.org/stream/problemsoffareas00curz#page/214/mode/1up

text:the Sea of Japan
http://www.archive.org/stream/problemsoffareas00curz#page/212/mode/2up/search/sea
In the negotiations that passed between the respective Governments it was obvious, indeed, that what China shrank from, and what Korea dreaded, was not the establishment of a British naval or coaling station, or even of a British maritime fortress in the mouth of the Sea of Japan, but the chance of a corresponding Russian movement in some neighbouring quarter; and both Powers were grateful for a step which forced th land of Rusia, and compelled her to give a guarantee, which lent a renewed lease of life to the phantom of Korean integrity , and has so far saved the little kingdom from sudden or surreptitious deglutition at the hands of her formidable neighbour.



Korean said "the name of Sea of Japan is spread after annexaton of Korea on 1910?" The name of sea of Japan already established as a international conventional words far before annexation.. 2003.02.13.Korean lies more 671 times than Japanese do. Ofcourse bloggers here already recognize Korean claims is filled up with distorture.