の添付画像に書かれたMatsimaについて。
一部ブログなどは、きちんと検証もせずに、この記事の『Universal Gazetterに添付されている地図に書いてあるMatsimaを、江戸時代の日本の竹島の呼称である、”松島”である』との書き込みを見たことがありますが、これは正しくないです。結論からすると、これは松前と考えられます。
まず、例の報道1760年のUniversal Gazetterの写真を見てみます。
この写真の、北海道のような大きな島と、そしてその南、すなわち北海道と思われる島と本州の間にいくつか小さな島がある事に注目してください。
この地図にはYedzoつまり北海道と思われる島と、本州の間に
島がいくつか記載されています。ここにMatsimaIと記載があります。
これが、1760年の地名辞典の添付図に記載されたMatsimaとほぼ一致します。
このことから考えると、作者は、松島ではなく、松前を意図して書いたものではないか、と推測します。
島根の竹島の江戸時代の名称"松島”を記載するとなると、隠岐の北西とか、そのあたりに記載すると考えられますし、また、鬱陵島、つまり江戸時代名”竹島”を記載せずに、”松島”だけ記載しているというのも妙な話です。
地図:1745.A new & accurate map of Asia. Drawn from actual surveys, and otherwise collected from journals; assisted by the most approved modern maps & charts. The whole being regulated by astronl. observations. By Eman. Bowen. (London: Printed for William Innys, Richard Ware, Aaron Ward, J. and P. Knapton, John Clarke, T. Longman and T. Shewell, Thomas Osborne, Henry Whitridge ... M.DCC.XLVII)
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~2580~270032:A-new-&-accurate-map-of-Asia--Drawn
この地図から判断すると、本州の北端と北海道の間にある二つの島の一つにMatsimaIと記載があります。これは、所謂江戸時代の松島(現在の島根の竹島)ではなく松前でしょう。
ひょっとすると、外国人は、長崎の出島のような、島だと思ったのでしょうか?北方探検史は詳しくないので詳しい方ご存知でしたら教えてください。
そして、決定的なのは、 A system of universal geography, or A description of all the parts of the world, on a new plan, according to the great natural divisions of the globe 1834 の記述です。
http://books.google.co.jp/books?id=iKUgAQAAMAAJ&pg=PA385&lpg=PA385&dq=MatsimaI&source=bl&ots=6DsqeZlgwY&sig=JXZdyTxNT0cqp28K-frDbMWkWIY&hl=ja&ei=UaldTteZMsSImQWUrY0B&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=3&ved=0CCwQ6AEwAg#v=onepage&q=MatsimaI&f=false
ここに、Matsumae/MatsimaIが出てきます。
Matsumai*1, or the Town of the Strait")Matsi being the word for a strait、is built near the south end of tehe island. It is a Japanese fortress, and inaccessible by land. Other military post extend along the western coast all the way to the northern point. It consting the western shore, we meet with the islanns of Osima, Kosima, Okosiri, Rissiri, (which contains the Pic Je Langle of La Perouse) and Refoonsiri. Trhe large grlph which extends inthe the country, is called by the Russia the Gulph of Strogonof. The last station to the north is Notsjiab, the Notzamboo of Krusenstern . 以下省略
脚注
*MatsimaI
このMatsumaiについてはUniversal geography, or A description of all parts of the world, on a new plan, according to the great natural divisions of the globe.1827にも出てきます。
まあ、この地図にはSea of Koreaが記載されてはいます。そして、例のMatsimaIが記載されています。
先の報道ですと、画像はMatsimaとなっておりますが、位置、スペルから該当するとIが脱落または誤字によるものか、どちらかだと思います。
まあ、この時代の西洋の地図に竹島(鬱陵島)松島(島根竹島)が掲載されているとは思えません。西洋の地図で鬱陵島がきちんと記載されるのが、James Conett aboard Argonautの発見”Argonaut island"とLa Perouseの日本海探検のときのDagelet、これが1780年代です。この二つの記録が、西洋では欝陵島の”発見”の最初とされており、それ以前に欝陵島の報告はありませんし、これいこう、シーボルトに関しても、竹島をアルゴノート島、松島をDagelet島として、まあ実際には欝陵島の話しなのですが、日本のいわゆる江戸時代の松島は西洋に全く知られていません。
また、西洋においては、現在の島根の竹島はLiancourt rocksもしくはHornetRocksと呼ばれていましたが、この”発見”はフランス捕鯨船Liancourt号が1849年に”発見”したもので、それ以前から存在を知られていたとは考えられません。
ArgonautとDagelet以前は、D'anville系統の地図が特徴的ですが、朝鮮半島付近にはTchansantaoとFanglintaoの二つが、おもに朝鮮で製作された地図を載せた中国図に記載されますが、これらにはTakoshima/TakeshimaとMatsusimaの名称はありません
この成果をまとめた海図がKrusenstern以降、1850年代の英国海図以前の地図ですが、この時期の地図には旧来の中国図からTchansantaoとFanlintaoを朝鮮半島沿岸Sampu(さむちょく)付近に書き、一方ArgonautとDageletを日本海の洋上にも書いています。
そしてこのArgonautとDageletにTakoshima/TakeshimaとMatsusimaを宛がうのがシーボルトで、それによりこの二つの島(実際はアルゴノート島は存在しない)が西洋の地図に記載されることになります。
このような経緯で、竹島アルゴノート島と松島ダーシュレ島が西洋の地図に載るようになった経緯を時期を考えると、それ以前の時代に記載されたMatsimaが江戸時代の松島つまり島根竹島である可能性はまず考えられません。これは上述の欧米資料から考えると、松前であると考えられます。