1872.副島種臣に与へて朝鮮地図の件を問合する書面
西郷南洲書簡集 図書 加治木常樹 編 (実業之日本社, 1911)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781419/101
1872.09.25
御壮剛奉恐賀候、池上四郎、煙台より九月二十五日仕出之書簡
省より御居被下候所、封中に朝鮮朝鮮地図差遣候趣、申来候得共、不相
見得候に付、御省え差出もの欺もも不被測候に付、相居候哉、卒度御
尋申上候将又別神御序之節、何卒相屈候様、御取計被下度御願申
上候、此段乍略儀御頼旁奉得貴意候頓首
解説 煙台は芝?の別名なり、五年の秋池上四郎より南洲宛の書簡、外務省へ届きたるを、南洲に伝送したるに対し、折返して、地図の事を問い合わせたるなり
*この書簡に書かれた地図はどのようなものなのかが不明
九月二十五日、四郎、外務省経由で西郷に書簡と朝鮮地図を送る(『西郷隆盛全集』第三巻、八一)
http://www16.ocn.ne.jp/~hideumi/index3.html
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781419/101
1872.09.25
御壮剛奉恐賀候、池上四郎、煙台より九月二十五日仕出之書簡
省より御居被下候所、封中に朝鮮朝鮮地図差遣候趣、申来候得共、不相
見得候に付、御省え差出もの欺もも不被測候に付、相居候哉、卒度御
尋申上候将又別神御序之節、何卒相屈候様、御取計被下度御願申
上候、此段乍略儀御頼旁奉得貴意候頓首
解説 煙台は芝?の別名なり、五年の秋池上四郎より南洲宛の書簡、外務省へ届きたるを、南洲に伝送したるに対し、折返して、地図の事を問い合わせたるなり
*この書簡に書かれた地図はどのようなものなのかが不明
九月二十五日、四郎、外務省経由で西郷に書簡と朝鮮地図を送る(『西郷隆盛全集』第三巻、八一)
http://www16.ocn.ne.jp/~hideumi/index3.html
1925.明け行く朝鮮
著者 松村松盛
出版地 (publicationPlace) 東京
出版者 (publisher) 帝国地方行政学会
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983121/148
鬱陵島紀行
1931.5 島めぐり
島めぐり
西亀正夫 著 著者 1883-1945
出版地 東京 出版者 厚生閣書店
日本海の島 鬱陵島 お銭の無い国 獅子をつれて征伐
朝鮮の東岸、江原道の海岸からざつと百三十キロを離れた東方海上にあり、ぼつり
と浮かんでいるたったひとつの離れ小島、これこそは朝鮮の名で鬱陵島、日本名は
松島と呼ばれる島です。
それは東西の直径も南北の直径もともに十キロばかりの四角形に近い島です。
広いに日本海のただ中にあって、
1932.偉人伝全集. 第12巻
第11 長崎留守訳時代の岩崎弥太郎
「鬱陵島占領計画の失敗」
白柳, 秀湖, 1884-1950 東京 出版者 (publisher) 改造社
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186605/113
その頃長崎に白楽と呼ぶ朝鮮人が居て少しは文字を解し酒間の斡旋くらい は出来た。弥太郎はこの白楽と、對週の浪士天草二郎(著者註:多分辮名であらう)と呼ぶものを介して識合になつた。筆談は弥太郎の得意とする所であったか ら、弥太郎はこの白楽からだんだんと朝鮮の事情を知ることが出来た
後日、英船を雇い、かの天草二郎を通辮件案内役として先ず鬱陵島(竹島)に渡り、材木を伐出したる後朝鮮京城に入り、国王に謁見して牛皮の交易を出願する目的であったのことだった
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